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長野地方裁判所諏訪支部 昭和36年(わ)70号 判決

被告人 長瀬好成

大一四・一二・一四生 旅館番頭

一、主  文

被告人は無罪。

二、公訴事実の要旨

被告人は自動車の運転業務に従事しているものであるが

第一  昭和三六年五月二六日午前二時半ごろ、小型乗用自動車を運転し、時速約五〇ないし六〇キロメートルで長野県岡谷市小井川七三六三番地先の今井新道(市道)路上を北進中、当時自車の前照灯を下向きにして減光しており、また深夜で付近は暗い状態であつたから、自動車運転者としては絶えず前方を注視して安全を確認し、障害物を発見したときは適切な避譲措置を講ずることができるよう減速徐行し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、慢然進行した過失により、折から進路前方左側に酔余仰向けに倒れていた戸塚和男(二七年)を、同人との距離約一五メートルに接近してはじめて発見し、これを避譲できずに轢過し、よつて同人を肋骨骨折、心臓破裂による出血によりその場で死亡させた

第二  前記日時場所において、前記自動車を運転進行中、戸塚和男を轢過したのにそのまま運転を継続し、もつて直ちに運転を中止して被害者を救護する等法令に定められた必要な措置を講ぜず、かつ事故発生の日時場所等法令に定める事項を、直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかつた

ものである。

三、無罪の理由

第一被害者の死亡の事実と事故発生の原因

(一)  死体及び現場付近の状況と加害車両の推定

(1)  昭和三六年五月二六日(以下、月日だけを記載するのはすべて昭和三六年のそれを指す。)午前三時一五分ごろ、公訴事実記載の場所で戸塚和男(当時二七年)の死体が発見された。

(2)  その死体は、南北に通ずる今井新道(市道)の舗装部分の中心線西側中央に、頭部を北西に、足部を南東に、顔を西に向けて手足を伸し、両手はほぼ水平に拡げ、仰向けの姿勢で横たわつていた。そして、拡げられていた両手間の直線距離は一・五八メートル、同じく両足間の距離二〇センチメートル、胸部、腹部の厚さ一九・五センチメートル、脛部の厚さは一四センチメートルであつた。

(3)  同人が当時着用していた白つなぎ作業衣は、左胸部から腹部前面、股部、左ひざ付近にかけて、いずれも下方から上方に向いかぎざきに破れ、その下に着用していた紺ズボンとパンツは股部前面が破れ(ズボンはそのほか左ひざ部も破れている。)、同じくスポーツウエアーは左胸下部に、白丸首シヤツには前腹部にそれぞれ破損箇所があつた。そして衣類の腹部、股部の破損のため、死体は陰部から下腹部にかけて露出していた。

(4)  衣類の破損部付近には、いずれも機械油に類する油質及び鉄さびが付着していた。

(5)  同人の右靴は死体付近に、左靴は約四メートル西の側溝内に落ちていた。

(6)  死体にはタイヤ等の車輪で轢断したとみられる傷跡は全くなかつたが、内部に肋骨骨折、肝臓及び心臓破裂があるほか外部前面に多数の擦過傷が認められ、死因は心臓破裂及びこれに基く失血によるものである。そして、身体外部の傷跡から判断すると、これらの傷はほぼ平坦で人体の幅を上回る程度の幅をもつたものが、弾力的な状態で死体の足の方から頭の方向へ擦過したことによつて発生したものと考えられる。

なお、傷の受傷後の変化状態からみて、これらの傷は同時に加えられたものと考えても矛盾する点はないが、さりとて積極的に同一時期に加えられたものと断定することもできない。

(7)  死体の血液及び尿から測定されたアルコール量によると、被害者は生前酩酊して正常の歩行が困難で思考力も減退していた状態にあつたことが推測される。

(8)  死体発見現場は、北は国道二〇号線に交差し、南は県道下諏訪辰野線に接続する全長約一七五〇メートルの市道で、日中及び夜間一二時過ぎごろまでは諸車の交通がひんぱんで、深夜でも相当の交通量がある場所である。

現場の道路は、舗装部分(コンクリート)と非舗装部分に分かれ、中央の舗装部分の幅員は六メートル、両側の非舗装部分の幅員は各一・六メートルであり、舗装部分は非舗装部分より高く、高いところで八・二センチメートル、低いところで三センチメートルの差がある。

(9)  被害者は、死体発見の前日の五月二五日夜、友人の下宿やバーでウイスキーとビールを多量に飲み、翌二六日午前一時過ぎごろ岡谷市上浜五四三六番地の友人田中国弘の下宿の前で、引き止める同人の手を振り払い、「これから姉のところ(同市今井一一五三番地の実姉戸塚ユキ方)に帰える。」といつて別れた。

(以上の事実認定に供した証拠)(略)

以上認定の各事実を総合すると、被害者は酔余、道路上に寝ていたところを、南方から北方に向つて進行する車両の車輪の間にはさまれ、車体底部により轢圧されて死亡したものと認めるのが相当で、従つて加害車両は四輪で、地上最底高が被害者の胸部、腹部の厚さ一九・五センチメートル以下の構造をもつ車両であると推定すべきである。

(二)  被害者の死亡時刻

(1)  死体発見現場の南方、道路西側にある帝国ピストンリング株式会社長野工場に勤務する今井健剛が、五月二六日午前一時一一分夜勤を終え、同日午前一時一六分ごろ歩いて現場を通りすぎたときには、現場路上には何の異状もなかつた。

(2)  同日午前一時五五分、同じく同工場の夜勤を終え、自転車で帰宅の途についた行成順一は、工場を出てから五分とかからない同工場南方約三〇〇メートル(死体発見現場から南約五〇〇メートル余)の地点で、道路東側の非舗装部分をふらついた足どりで北に向つて歩いている一人の男とすれ違つた。この男は上下つなぎの白い作業衣を着ていた。

(3)  同じく同工場を同日午前一時五九分に退社した安部史裕は、同工場の南方三〇メートルの道路東側をよろめいた足どりで、ゆつくり北上する人影を目撃した。

(4)  同工場を同日午前二時六分に退社した小林正巳は、同日午前二時八分ごろ死体発見現場と同じ場所で、一人の男が頭部を北に、顔を西に向け、手足を拡げて仰向きに横たわつているのを発見し(ただし、足の位置は死体発見当時と比べて、やや西寄り)、自転車から降りてその側を通りすぎたが、男の衣類の破損その他の状況について異常があることには気づかなかつた。

(5)  次に、夜勤のため同工場に出勤すべく、同日午前二時四五分ごろ死体発見現場を自転車で通りかかつた有賀憲武は、現場で一人の男が死体発見時とほぼ同一の姿勢をして横たわつているのを見たが、そのとき男の衣類ははだけて腹部が露出し、右足の靴がその側に落ちていた。

(以上の事実認定に供した証拠)(略)

右認定の事実によると、これらの者が目撃した男は本件被害者であることに間違いなく、有賀憲武が目撃した当時の被害者の状況からすると、そのときすでに被害者は死亡していたものと認められ、これと反対に、小林正巳が目撃したときは、現場付近が相当暗かつたにせよ、自転車を降りてすぐ横を通りすぎた際、通常なら被害者の衣類の異常もしくは腹部の露出等に気づくはずであるから、当時はまだ被害者は死亡していなかつたものと認められる。

従つて、被害者は五月二六日午前二時八分ごろから同日午前二時四五分ごろまでの間に死亡するに至つたものというべきである。

(三)  被害者の被害当時の姿勢

本件では被害者に車輪で轢断した傷跡がないのであるから、被害当時の被害者の姿勢が判明すれば、加害車両の左右車輪間の距離(輪距)が推定されることになる。

前記認定のとおり、被害者が生存していたものとみられる午前二時八分ごろ及び死亡していたとみられる午前二時四五分ごろには、いずれも被害者は手足を拡げていたのであるから、その間において被害者が轢圧されたときも、同様に手足を拡げていたと推定できないこともないが、酔余寝ていたとはいえ、死亡までの間に被害者が無意識のうちに手の位置を変え、轢圧当時その衝撃で手が開くこともありえないことではないから、右事実だけでは未だ被害当時被害者が両手を拡げていたと断定することはできない。

検察官は、この点について(イ)被害者の左手には外側(前膊伸側)に、右手には内側(前膊屈側)に傷があること、(ロ)最底地上高一九・五センチメートル以下で、輪距が一・五八メートル(前記死体発見当時の両手先端間の距離)をこえる車両は稀にしか存在しないこと(運輸省自動車局監修一九六二年国産自動車諸元表参照)などからして、被害者は被害当時左手を胸に充てていたものであると主張する。しかし、前記のとおり被害者の両手の傷が身体外部の他の傷と同一機会に生じたものであるとは断定できないから、酩酊したうえ、正常の歩行が困難であつた被害者が、現場付近に到達するまでに、自ら他の物体によつて腕に傷を負うことも十分考えられるし(被害者の作業衣は、左右とも腕まくりをして両ひじ付近まで露出していたことは、前掲五月二九日付実況見分調書参照)、また酔余、特に顔面を西向きにして寝ている被害者が右手は外側を、左手は内側を地面につけて寝ることも考えられないことではなく、さらに地上最底高が一九・五センチメートル以下で輪距が一・五八メートルをこえる車両も全然存在しないわけではないから、検察官主張の論拠だけでは被害者の左手が胸に当てられていたものと断定することはできない。

以上、被害当時の両手の位置については明らかにすることはできないが、被害者の衣服の破損状況、その他傷の状況からみて、被害者の身体は、被害当時加害車両の進行方向とほぼ平行に横たわつていたことは明らかである。

第二被告人の犯行の成否

(一)  事故発生前後の被告人の行動

(1)  被告人は、五月一六日ごろ岡谷市塚原建材所属のダンプカーと接触事故をおこしたことがあり、この弁償要求のため、同月二六日夜友人富岡哲郎から借りた小型乗用車を運転し、友人宮本清志、栗田多門を同乗させて松本市を出発し、同日午後一〇時から一〇時半ごろまでの間に岡谷市上浜六〇六〇番地の塚原基晴方を訪れ、翌二六日午前二時二五分ごろ用談を終えて同人方を辞した。

(2)  帰途、今井新道を時速五〇ないし六〇キロメートルで北進し、遅くとも同日午前二時三〇分ごろ前記死体発見現場を通過したが、その際路上に横たわつていた被害者を相当接近した距離で発見し、とつさにハンドルを左に切つたところ一瞬大きな衝撃を受け、車体が若干左側に傾き、その直後瞬間的にハンドルを右に切つて、そのまま現場を通過した。

(3)  現場通過直後、被告人は「やつちやつた、やつちやつた。」と口走り、同乗の宮本清志に「どうも人をひつかけてしまつたようだが、人を見なかつたか。」と尋ねた。その後塩尻峠に差しかかる塩嶺病院の手前付近で停車して、マツチの明りで車体下部を点検したところ、異常はなかつたが、気になるので元来た方向に二〇〇メートルほど引返しかけ、思い直して再び松本市方面に進行し、途中同市出川でガソリンを補給した後、同日午前三時三〇分ないし四〇分ごろ同市南土井尻町の宮本清志方に到着した。そして同所で電灯の明りでさらに車体下部を点検した後、同日午前四時ないし五時ごろ同市今町の実父宅に帰えつた。

(4)  翌二七日午前中、被告人は友人の富岡哲郎に「どうも昨夜人をひいたかもしれない。」と話し、同人と共に前記自動車に乗つて、当時の住居である東京都に帰えるべく実父宅を発つたが、途中長野県内の青木峠付近で停車して二人でさらに車体下部を点検し、同日夕刻自宅に到着し、妻静子に「岡谷で、もしかしたら人をひいてしまつたかもしれない。」と話した。

(以上の事実認定に供した証拠)

一、被告人の

(イ) 当公判廷における供述

(ロ) 検察官に対する供述調書五通

(ハ) 司法警察員に対する供述調書五通

一、証人富岡哲郎の当公判廷における供述

一、第五回公判調書中の証人宮本清志の供述記載

一、第六回公判調書中の証人塚原基晴、同塚原菊の、同藤森慎市、同栗田多門の各供述記載

一、長瀬静子の検察官に対する供述調書

一、司法警察員作成の六月四日付実況見分調書

(二)  被告人の運転した自動車の構造と痕跡

被告人が当時運転した自動車は、オースチンA五〇型五八年式の小型乗用車(中古車)で、同車の底部のアクセルメンバー、マフラー、デフレンシヤルギヤーの部分はいずれも地上から一九センチメートル以下の高さしかない。なお、前後輪とも左右のタイヤの内側から内側までの距離は一・一一メートルである。

そして、本件事故後の六月三日見分したところによると、同章の底部には油が付着又は滴出している箇所が数ヶ所にあり、また柔かい物件と接触したと見られる擦過痕が五ヶ所にあつたが、鑑定の結果、右の油と被害者の衣類に付着していた油質とは同一のものとは判明しなかつた。なお、五月三〇日の検査に基き鑑定したところによると、同車の前面及び底部合計六ヶ所に血痕の付着が認められたが、これらは微量のため、人血かどうかあるいはその血液型についても判明しなかつた。その他、同車底部八ヶ所から採取した糸くず、繊維等は、いずれも被害者の着衣の特徴と一致するものは発見されなかつた。

(以上の事実認定に供した証拠)(略)

(三)  被告人の自白の検討

被告人は、警察、検察庁における捜査段階で、本件事故は自己の運転する自動車でおこしたものであると自白している。

そこで、被告人が自己の車両が被害者を轢過したものと判断した根拠について検討してみることにする。

被告人の当公判廷における供述に、検察官及び司法警察員に対する供述調書各五通を合わせて詳細に検討すると、被告人は路上に横たわつていた被害者を相当接近した距離で発見し、とつさにハンドルを左に切つた際、ガクンと大きな衝撃を受け、車体が左に傾いたように感じたため、右異常な衝撃は、自車の右車輪又は右側の車体のどこかが被害者の身体の一部と接触、轢断したことによるものではないかと思い、現場通過直後から逮捕されるに至るまで不安の念に悩まされていたところ、五月三〇日逮捕され捜査官から追求された結果、自己の抱いていたおそれが現実のものであつたものと観念して自白するに至つたものであること、従つて被告人が加害者を轢過したと判断した根拠は、ハンドルを左に切つたときの異常な衝撃が唯一のものであつて、他にはないことが認められる。

ところが、被告人の感じた右衝撃について、当時同乗していた宮本清志は「ガタンという音で、四、五寸の穴に落ちたようなシヨツク。かなり大きな音」と述べ、同じく栗田多門は「ゴトンゴトンという音で穴にでも落ちたような感じ」と述べており(前掲証人宮本清志、同栗田多門の各供述記載)、これらの供述と、当裁判所が被告人の車両と同種同型式の自動車を使用して事故現場で試みた結果(当裁判所の検証調書)とを総合すると、右衝撃は、被告人の車両底部が被害者を轢圧したために生じたものではなくて、車両が事故現場の道路舗装部分から西側の非舗装部分に落ちたときの衝撃であつたものと認められる。

従つて、右衝撃を唯一の根拠とする被告人の自白は信用することができない。

もつとも、被告人の感じた右衝撃が、非舗装部分に落ちたときの衝撃であるからといつて、被告人の車両が被害者を轢圧した後非舗装部分に落ち、前者の衝撃が後者の衝撃に比べて軽度であつたため、被告人がこれに気づかなかつたということも考えられるから(当裁判所の検証調書によると、被害者を轢圧したことのみによる衝撃は軽微なものであると推測される。)、右の一事をもつて、被告人の車両が加害車両でないと断定することはできないことはもちろんである。

(四)  被告人が被害者を発見したときの距離と轢過の関係

被告人は、被害者を発見したときの自己の車両と被害者の距離を、六月三日の司法警察員の実況見分の際には一一・八メートルと指示し(前掲同月四日付実況見分調書、証人中山一富の供述記載)、検察官に対しては一・五メートル位と供述し(検察官に対する六月八日付供述調書)、第一回公判廷においては二・五ないし三メートル、当公判廷において二メートル位と各供述しており、この点に関する供述は一貫していないが、深夜突如として路上に予想もしない障害物を発見したときの精神状態としては、その障害物が実際の位置よりも間近かに感ぜられるのが普通であること、その他被告人の車両の運転席からの路上に対する見通し等を考慮に入れると、発見当時被告人の車両と被害者の間には少くとも五メートル以上の距離があつたものとめ認るのが相当である。

一方、被告人は当時時速五〇ないし六〇キロメートルで進行していたのであるから、〇・一秒間に一・三八ないし一・六六メートル進んでいたことになる。従つて被害者を発見して、とつさにハンドルを左に切るまでの間に要する瞬間的な時期の如何によつては、被告人の車両が進路を左に転ずる前に被害者を轢過することも十分考えられるが、被告人が被害者を発見した当時の自動車の正確な速度及びハンドルを切るまでの瞬間的時間の所要量が確認できない本件においては、右の点については、いずれとも断定することはできない。

(五)  被告人の目撃した被害者の姿勢

被告人は逮捕以来当公判廷に至るまで一貫して、発見当時被害者は両手を拡げていたと供述し、その角度については司法警察員に対する六月四日付供述調書において「万歳をしたときの手よりやや外側に開いていた」と述べ、検察官に対する六月一五日付供述調書において「万歳をしたように開いていた」と述べ、当公判廷においては「万歳の恰好で直角より少し上にあつた」と述べているが、両手の角度が右供述のとおりであつたとしたら、前記認定の発見当時の両手の距離から推して、被告人の車両によつても被害者の身体に轢断痕を残さずに轢過することも不可能ではないとも考えられる。(ただし、この場合被告人の車両は、地上からの高さ一九センチメートル以下の部分が、底部中央もしくは車両進行方向に向つて左寄りの部分にあるのに、被害者はむしろ身体中央もしくは左寄りの部位に多く損傷を受けている点に注意を喚起すべきである。)

(六)  結論

以上の各認定事実によると、被告人の車両が本件事故の加害車両になりうる可能性はないとはいえないが、被告人の自白が信用できない本件においては、他の証拠(もしくは事実)のみでは未だ本件事故が被告人の車両によるものであると確信をもつて認定することはできない。

そうすると、結局本件公訴事実はいずれも犯罪の証明がないことに帰するから、刑訴法三三六条に則り被告人に対して無罪の言渡をする。

(裁判官 中川敏男)

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